自閉スペクトラム症(ASD)の新規関連遺伝子を同定
発表日 | 皇冠体育,皇冠比分7年5月21日(水) |
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発表者 | 薬学部 講師 岩田圭子 |
本研究成果のポイント
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本研究は、自閉スペクトラム症注1(ASD: autism spectrum disorder)当事者の死後脳を用いて、縫線核のエピジェネティック制御機構注2を解析しました。
- セロトニンによって制御される嗅覚関連遺伝子の高メチル化を見出したほか、これまでに知られていなかったASD関連遺伝子を同定しました。
研究の概要
ASDの発症は遺伝学的基盤を有しているものの、詳細は未だ解明されていません。環境因子とDNAメチル化注3などのエピジェネティックな過程がASDの発症に極めて重要です。
本研究では、ASD発症に関わるとされる脳の縫線核背側部におけるエピジェネティック制御機構を明らかにする目的で、きわめて貴重なASD者および健常対照者の死後脳を入手し、そのDNAメチル化の状態を包括的に分析しました。
その結果、ASD群と対照群の間にメチル化レベルが異なる領域(DMR)を同定しました。DMRは、プロモーター、遺伝子本体、遺伝子間領域など、様々なゲノム領域に分布していました。中でもセロトニンによって制御される嗅覚関連遺伝子に、高メチル化が認められました。さらにオートファジー注4とシナプス注5の機能に関連する遺伝子であるRABGGTBのプロモーター関連CpGアイランド注6の低メチル化が、遺伝子の発現増加と相関していることが観察されました。
本研究は、重要なゲノム領域における広範なDNAメチル化変化を明らかにしています。特にSFARIデータベース注7に掲載されていない新規関連遺伝子としてRABGGTBが特定されたことは、ASDの病態生理における遺伝因子と環境因子の相互作用の理解を促しました。
本研究成果は、科学誌「Psychiatry and Clinical Neurosciences」に皇冠体育,皇冠比分7年4月24日(電子版)に掲載されました。
研究の背景
1.ASDと遺伝子
ASDは、8歳までに約44人に1人の割合で発症する神経発達症です。正確な原因は解明されていませんが、これまでの双生児研究報告により、ASDに強い遺伝的要素の関与が示され、多くの関連遺伝子が報告されています。しかし、ASDの根底にある遺伝的メカニズムは依然として不明です。遺伝率は以前の推定よりも低く、環境要因がASDの発症に大きな影響を与えることが報告されています。児が母親の胎内にいる時期に、母親が化学物質、ストレス、ウイルス感染などの環境要因へ曝露することで?児がASDを発症する可能性が示唆されています。つまり?環境要因がDNAメチル化やヒストン修飾を介して関連遺伝子発現を調節するエピジェネティック過程に、ASD発症の原因があるとする考え方です。
2.ASD脳におけるエピジェネティック報告
中脳および橋前部の腹側中心灰白質に位置する縫線核背側部は、ASDに関与する重要な領域で?研究報告も増えています。それは、この領域がセロトニン機能に関わる領域だからです。セロトニンは情動の安定、安心感や平常心、直観力など、脳を活発に働かせる鍵となる脳内物質で、ASDでは脳内のセロトニン機能の低下が多く報告されています。縫線核背側部は、前脳および末梢領域に広範囲に投射するセロトニン作動性ニューロンが最も多く存在し、セロトニン調節およびASD関連メカニズムにおいて中心的な役割を果たしています。しかし、ASDにおける縫線核背側部のDNAメチル化の状態は未解明のままで、この脳領域のエピジェネティック制御の理解は停滞していました。これまで複数の研究者が、ASD者の死後脳特異的メチル化領域を報告していますが、ほとんどが大脳皮質と小脳に焦点を当てている状況でした。
本研究の発見と今後の展開
ASD死後脳?縫線核背側部のDNAメチル化の状態の解析
私たちは、ASD者とASDと診断されていない健康な対照群の死後脳組織を用いて、縫線核背側部領域におけるゲノムワイドDNAメチル化の状態の探索的研究を実施しました。解析にはInfinium HumanMmethylation450 BeadChip (Illumina) を使用しました。この装置は、5'-非翻訳領域 (UTR) を含むプロモーター領域、および遺伝子本体、遺伝子間、および 3'-UTRのCpG領域の DNA メチル化レベルを測定できます。
脳内のいくつかの常染色体遺伝子座におけるDNAメチル化レベルは性別に依存するため、メチル化解析には男性被験者のみを使用しました。被験者(ASD者5名、対照群7名)の間で、年齢、民族、死後の経過時間に有意差はありませんでした。
ASD群と対照群の間には51の差次的メチル化領域(DMR)が同定されました。プロモーター領域、遺伝子本体領域、および遺伝子間領域のDMRの28%が高メチル化の増加を示していました(図1)。このうち、ASD群では、対照群と比較して、OR2C3やSPIBなど10遺伝子において11箇所のCpG領域が有意に高メチル化していました。また、PM20D1やDCAKDなど20遺伝子において24箇所のCpG領域が低メチル化していました。遺伝子間領域では、X染色体上にてセロトニン受容体2CをコードするHTR2Cの5'上流に位置するDMR領域が著しく高メチル化していることがわかりました。
ASDにおけるメチル化差を示す遺伝子のmRNA発現
次に、ASD群でメチル化に有意差を示す遺伝子のmRNA発現レベルに注目しました。メチル化異常が最も大きい上位4つの高メチル化および低メチル化領域から、プロモーター領域に異常メチル化されたCpGアイランドを持つ遺伝子として、OR2C3、COLEC11、DCAKD、RABGGTB、ZBTB40を選択し、これらの遺伝子の発現レベルを解析しました。 その結果、RABGGTB遺伝子のmRNA発現レベルだけがASD群で有意に増加しており、遺伝子メチル化の有意な減少を裏付けていました(図2)。この結果は、EMアンプリコンシーケンシングでも、RABGGTBのcg08702915のメチル化の有意な減少が確認できました。しかし、COLEC11、DCAKD、ZBTB40遺伝子については2つのグループ間で遺伝子発現に有意差は認められませんでした(図2)。
メチル化アレイ解析に含めた男性サンプルのみの解析でも、図2と同様の傾向が認められ、RABGGTB遺伝子のmRNA発現レベルが上昇する傾向がありました。さらに、COLEC11、DCAKD、RABGGTB、ZBTB40遺伝子の発現と、各部位のメチル化アレイから得られたメチル化レベルとの相関を調べたところ、解析対象となった遺伝子の中で、RABGGTB遺伝子のみが発現レベルとメチル化レベルの間に負の相関傾向を示しました。以上よりRABGGTB遺伝子は、新たなASD関連遺伝子であると結論しました。
本研究は、これまで調べられていなかった縫線核背側部におけるDNAメチル化の包括的な解析を初めて提示しており、ASDの潜在的なメカニズムに光を当てるものです。ASDにおけるメチル化異常の理解、エピジェネティック制御の全体像の解明に役立つ可能性があります。特にRABGGTBの発現亢進は、そのプロモーター領域に存在するCGIの低メチル化と一致していたため、ASD関連遺伝子として有望です。 RABGGTBは、ASD関連遺伝子データベース(SFARIデータベース)には登録されていない新規関連遺伝子であり、今後は、DNAメチル化プロファイリングとトランスクリプトーム解析を組み合わせ、異常なDNAメチル化とRNA発現の関係を評価することが重要になります。
図1:脳ゲノム全体のメチル化解析:対照群の平均とASD者の平均の比較。
(a) 対照群とASD者の平均メチル化値の差を示すDMRトラックが表示されています。対照群と比較して、ASD者で有意に平均メチル化値が増減した箇所は青色、平均メチル化値の増加はピンク、減少はグリーンで示されています。DMRはほぼすべてのヒト染色体に分布していました。
(b) 異なるゲノム配列間のDMRの分布。DMRはプロモーター、遺伝子本体領域、および遺伝子間領域にあり、3' UTR領域ではDMRは同定されませんでした。
(c) DNAメチル化変化の方向に応じたDMRの分布。ASD者では、DMRの35%が高メチル化であり、65%が低メチル化でした。
(d)プロモーター領域、遺伝子本体領域、および遺伝子間領域のDMRの28%が高メチル化の増加を示していました。一方でプロモーター領域のDMRの72%、遺伝子本体領域および遺伝子間領域のDMRの56%が低メチル化の増加を表していました。これら3つの領域間で、高メチル化と低メチル化の比に有意差はありませんでした。
図2:死後脳縫線領域におけるCOLEC11、DCAKD、RABGGTB、ZBTB40遺伝子の発現を示しています。対照群とASD者の死後脳縫線領域における遺伝子レベルを比較し、データは平均値±標準誤差として示しています。対照群n = 11名、ASD群n = 6名。*Mann–Whitney U検定により対照群と比較してP < 0.05で有意でした。
用語説明
注1 自閉スペクトラム症 (ASD):
人とのコミュニケーションが苦手?物事に強いこだわりがあるといった特徴をもつ発達障がいの1つです。
注2 エピジェネティック制御機構:
DNAの塩基配列そのものに変化がなくても、DNAのメチル化やヒストン修飾によって遺伝子の発現を制御する仕組みを指します。「エピジェネティクス」とは「ジェネティクス(遺伝学)」にギリシャ語の「エピ(上に)」をつけた造語で「遺伝子の上にさらに修飾が入ったもの」という概念です。
注3 遺伝子のメチル化:
DNA中の塩基の炭素原子にメチル基修飾が付加される化学反応で、ほとんどがシトシンで生じ、当該の遺伝子発現を抑制します。高メチル化はメチル化の割合が高く、遺伝子発現が強く抑制されること、低メチル化はメチル化の割合が低く、遺伝子発現の抑制が弱いことを意味します。どの細胞内にも同じ一揃いの遺伝子が入っているのに、神経細胞は神経になり、肝細胞は肝臓になるのは、発生の段階でメチル化により作動する遺伝子が決まっているためです。
注4 オートファジー:
細胞内を正常な状態に保つために、細胞自身が細胞内のタンパク質を分解し再利用するしくみのことで、生命維持に欠かせないリサイクルシステムを意味します。大隅良典先生はこの現象で働く主要遺伝子を明らかにされ、「オートファジーの仕組みの解明」により2016年のノーベル生理学?医学賞を受賞しました。
注5 シナプス:
神経細胞間あるいは神経細胞と他種細胞間に形成される特殊な接合部の構造を意味します。神経細胞間の情報伝達において重要で、神経細胞の電気信号がシナプスでは神経伝達物質に変換され、次の神経細胞へ送られて伝わる仕組みになっています。
注6 CpGアイランド:
ゲノムDNA中でシトシン(C)の次にグアニン(G)が現れる配列の出現頻度が高い領域を指します。この「p」はリン酸を意味し、CとGが隣接していることを示します。CpGアイランドの70%−80%程度のシトシンがメチル化されます。CpGアイランドは、遺伝子のプロモーター領域や5’上流領域に位置し、遺伝子プロモーター領域のCpGアイランドは(最初はメチル化されていないことが多いですが)、発生や分化に伴ってメチル化を受け、遺伝子発現が抑制されます。
注7 SFARIデータベース:
Simons Foundation Autism Research Initiative (SFARI)が運営する、世界最大の自閉スペクトラム症関連遺伝子のデータベースを意味します。
論文タイトル
Genome-wide DNA methylation profiles in the raphe nuclei of patients with autism spectrum disorder
「自閉スペクトラム症者の縫線核におけるゲノムワイドDNAメチル化の状態」
※本研究は、文部科学省科学研究費補助金基盤研究(C)(課題番号19K08041および23K07019)、および文部科学省科学研究費補助金基盤研究(B)(課題番号19H03581)の支援を受けて実施されました。
著者
岩田 圭子 Keiko Iwata 123(筆頭著者)
中林 一彦 Kazuhiko Nakabayashi 4
石渡 啓介 Keisuke Ishiwata 4
中村 和彦 Kazuhiko Nakamura 5
亀野 陽亮 Yosuke Kameno 6
秦 健一郎 Kenichiro Hata 47
松﨑 秀夫 Hideo Matsuzaki 128(責任著者)
1 福井大学子どものこころの発達研究センター
2 大阪大学、金沢大学、浜松医科大学、千葉大学、福井大学、連合小児発達学研究科
3 和歌山県立医科大学薬学部薬品作用学研究室
4 国立成育医療研究センター母子生物学研究部
5 弘前大学医学部精神神経科
6 浜松医科大学精神科
7 群馬大学大学院医学系研究科ヒト分子遺伝学分野
8 福井大学ライフサイエンスイノベーションセンター
発表雑誌
掲載誌:「Psychiatry and Clinical Neurosciences」(電子版)
DOI : doi.org/10.1111/pcn.13830(皇冠体育,皇冠比分7年4月24日に掲載)
問合せ先
(研究に関すること)
松﨑 秀夫(まつざき ひでお)
国立大学法人福井大学子どものこころの発達研究センター脳機能発達研究部門 教授
〒910-1193 吉田郡永平寺町松岡下合月23号3番地
TEL:0776-61-8803 E-mail: matsuzah@u-fukui.ac.jp
(報道担当)
塚本 直輝(つかもと なおき) 国立大学法人福井大学 経営企画部 広報課
〒910-8507 福井市文京3丁目9番1号
TEL:0776-27-9733 E-mail:sskoho-k@ad.u-fukui.ac.jp
公立大学法人和歌山県立医科大学 事務局広報室
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